見城徹×堀江貴文×藤田晋トークライブ最後に語られた『3分31秒のスピーチ』
755というアプリを知っているだろうか?
サイバーエージェント藤田晋氏と堀江貴文氏が50%ずつ出資をして始めたプロジェクトであり、LINEの様なメッセージのやり取りを一般に公開するというトークアプリだ。
その755では、今までネットでの交流とは無縁だった著名人達も参加してコメントをやりとりしている。
幻冬舎代表取締役社長見城徹氏は、そんな755で、顔も知ら無い画面の向こう側の人たちからのコメントに、正面から、心から答えてきた。
755での見城氏のやりとりから書籍が生まれた
見城氏が実際に755へ投稿した51の言葉、その言葉をについて1つ1つ解説を行ったもの。
キラーカード
GNO
安めを売らない
正面突破
圧倒的努力
暗闇でジャンプ
この書籍には、755見城トークでは同じみの言葉が詰まっている。
出版を記念したトークイベント開催
見城氏は3月31日をもって755を止めるということになり、最後に755をまとめた書籍の出版記念イベントとして、755の生みの親である堀江・藤田両氏と見城徹の3人でのトークライブが開催されることになった。
そんなトークイベントの最後に、755でやり取りをしていた参加者に向けて、ゆっくりと、力強く話した『見城徹3分31秒のスピーチ』が魂が乗った、参加者の心に響くすばらしいものだった。
ここに、全文を書き下ろすことで1人でも多くの方へ届けたいと思う。関係著作者の方、不具合があった場合には連絡を頂けたら幸いだ。
見城徹氏が755卒業に寄せて語った『3分31秒のスピーチ』
「僕は、本当に、755にこんなハマるとは思っていませんでした。
愚直に、とにかく息遣い…ヤジコメしてくれる方の息遣いとか、ため息とか、足音とか胸の鼓動とか。
そういうものをなんとかして感じ取ろうと。
でも、絶対にまやかしや小手先は止めようと、思って。
思った事を返してきました。
それも、即興で返すので不愉快だったこともあったと思います。
この人勝手だなとか、傲慢だなと思ったこともあったと思います。
だけど、僕はその時の自分をそのまま、愚直に、返して、きたんです。
それが、一つの本になってしまったというのは、僕の中でも、奇跡のような事です。
そして、みなさんとこういう交流を持てたということは、僕にとっては、ものすごく重かったことです。
でも、やっぱり1日最初は2時間、3時間になり4時間、4時間半になる、っていう風になってくると、やっぱり僕にとっても重荷でした。
だから、まあとにかく一旦は止めようと、いう風に思って、今回3月31日で止めさせてもらうことになりました。
でも、みなさんのことは正直に言って、すごく気になります。
皆さんが、どういう風に生きているんだろうと。
どういうことに悲しみ、どういうことに喜び、どういう風に有頂天になって、どういうことに絶望するんだろうっていうことに関して、僕はものすごくやっぱり、耳を澄ませていたい、という風に思います。
だから、トークだけは消さないで…いや、トークって今までのトークは消します。たぶん。わかんないけど31日になんないと。
ただ、みなさんのを見ていたいな、とは思います。
ここまで7ヶ月間僕を、夢中にさせてくれた、みなさん方に、感謝します。
そして、この7ヶ月間を僕は絶対に忘れません。
死ぬ、数秒前に、755のみなさんのことは、必ず、思い出すと、思います。
僕はここで終わりますけれども、みなさんも僕の人生も続きます。
だから、どこかで誰かが見ているし、どこかで誰かが愛しているし、と思って、自分の人生を生ききっていただきたいと思います。
戻って来ることがあるかもしれないし、無いかもしれません。
とにかく、ここまで、僕に付き合ってくださって、ありがとうございます。
何を言っていいか、わかりませんけれども、最後に一言、言えるとするならば、その人の人生は、その人にしか無いものなので、その人らしい人生を、生きてください。
僕は、見ています。
ありがとうございました。」
(書き下ろしここまで)
著名人が、無名のヤジウマたちに語りかけた画面を通さない最初で最後の言葉。
デジタル全盛で、熱くなる事をどこかカッコ悪いと思っているいまだからこそ、時代が見城徹を求めているのかもしれない。
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荒木賢二郎

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